鬼神敬遠について
雍也22に「敬鬼神而遠之」とあるのをもって儒教の反非合理性を謂うもの*1を見かけるが、どうだろうか。
泰伯21には「禹吾無間然矣、菲飮食、而致孝乎鬼神」とあって、自らを薄くして鬼神を厚くする禹が絶賛され、為政24では「非其鬼而祭之、諂也」と自分の親を祭るように謂い、為政05に「生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮」即ち、それぞれに拠って立つ所、やり方があるのだと謂い、先進12には「未能事人、焉能事鬼」と、生きてる者に仕えられなくてどうして死んだものに仕えられようかと謂う。
『墨子』非儒篇下にある様に、儒者と呼ばれる者たちが葬儀に深くかかわり、厚葬を奨励して大挙して回っていた事を忘れてはならない。生きてる者でさえ粗末に扱う者が、死者を手厚く弔うとは考えられまい。何を以って生と云い死と云うか、いずれであれ、親であることに変わりはなく、同様に仕えるよう言っているように見える。
また、
礼記(祭儀篇)に「祭不欲數、數則煩、煩則不敬、祭不欲疏、疏則怠、怠則忘、是故君子合諸天道春禘秋嘗*2」とあり、敬して遠ざけるは、祭りの怠り、行われない事を防ぐためであり、それは忌避して謂うのではなく、祭りが厳粛なものと考えられていた為である事が分かる。
してみると、
生と死の両方にきちんとお仕えするのが人の道であるといい、それらを孝や忠という人間本性の徳質として、天意にひもづけるのが彼らの理屈であったように見ゆる。
そもそもを言えば、彼らにとって鬼神だとか天意だとかは、何も超常的なものでもなければ不可知*3のものでも何でもない。 単にそういうものであり、彼らが何かをそう呼ぶのに何の躊躇もなかっただろう。日本語風に言えば、人として神仏を粗末にしてはいけないと言ったところになると思うが、その"人として"を以って人間中心主義等というのは聊かニュアンスが異なる。
孔などにおいて謂う「知」とは人の道を分かっているという程度の事であって、不可知なるものを退けるような話ではあるまい。「敬鬼神而遠之」を以って儒教を「神秘的・宗教的なものからは距離をおく*4」ものと解するのは、論語中のみならず整合的ではないように見えるのだが。