Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

世界は何からできている?

A. thing. 

世界は事物から出来ている。

そのもっとも小さいものはそれ以上分割することはできず、

そのもっとも大きいものは他のすべてのものをその内に含む。

原子がそれ以上分割できないのではない。それ以上分割できないものがアトムであったのだ。すべての外には何も無く、すべてはすべての内に在る。在るものは在るものとして、無いものは無いものとして。

その数は在るだけ在って、増えれば増え、減れば減る。その定かではない数は無限に等しい。

 

人間にとって見知った世の区切りを世界と呼ぶのなら、知らない世界をも合わせたすべてはそれらよりも大きく最大であり、ひとつとして在るものになる。

 

この一つにして全てであり、全てであり一つであるところのものは、その内に広がりを持ち、また変化を持つ。宇とは広がりをいい、宙とは変化をいう。空間と時間。万物は流転し、uni+vertere、如何なる名で呼ぼうとも同じ一のところのものである事に変わりはない。

 

我々人間もそのすべての内に在り、その外に出ることは叶わない。だが唯一人間という存在のみがその魂を羽ばたかせて、このすべてを視界に捉えることができるのだ。

 

難しい話は私が分からないので出来ません。

えーと、物理の話じゃねぇって言ってるのに、どうしても物から離れられない人がいるもので面倒くせーと思う事この上ないんですが、物理即物の地平に留まっている限り、こうした世界の話は見えてきません。

 

また反対に、哲学にとって論理学や数学は手段でしかないって事を忘れてるひともいます。もしそれらが議論の本質であるのなら哲学はそちら名前で呼ばれてるか、或いは逆にそれらが哲学の名前で呼ばれている事でしょう。哲学者を称した者たちは、別に論理や数学を極めたかった訳じゃなく、単にこの世界が不思議で仕方なく、どうやったら知ることができるのか、その手段としてそれらを用いただけです。

 

即物の世界を知りたいだけならそれでも構わないんでしょうけれど、世界はそれだけにとどまりません。おまけに、人間は間違える生き物です。その間違える生き物のやってきた事、してる事、間に合わせで何とかしてきた事って、複雑な論理学的真や高度な数学的正解で紡ぎだせるもんなんでしょうかね?

 

高度に発達し複雑化した社会では勿論、必要でしょうが、そんなにも複雑なものが最初から必要だったなら人類ここまで来られてないと思うんです。最初はとっても簡単で、誤りや間に合わせの想定をも含む、シンプルな発想から始まってるんじゃないかなと思います。

 

高度で複雑なものはやってる人は沢山いますし、私までそうしたものをやる必要は特にないと思っています。だって、話聞いても全然分かりませんし、私が関心を持つようなものもその中にはありませんから。私はただ、私にもできる単純なやり方で、私を惹きつけてやまないそこに在るものを、それが真実そうであるのかそれとも違うのか、それは私には分かりませんが、書き記しておきたいと思うのです。

 

 

何がどうであれば正しいのか? の思い出

学生時代、みんな好き勝手に言ってるのを見て不思議に思っていました。何故そんなにもみんな自信満々にとんちんかんな事を言うのだろうと。そしてまた、誰も私と同じような事を言っているのがいなかったので、自分がまともに思えてもそれは自分の感覚ですし、そう思えるだけでただの間違いなのではないかと常々疑っていました。

指導教授はよくよく考えて自分でえらびましたし、世の中と人間性というものに通暁したすぐれた実務畑の戦略家でした。当然ながら上のとんちんかんには含まれていません。記憶違いでなければ、その教授に、これだけやったんだという自負が信念を作る、オマエはそれが足らん!というような事を言われたように思うのですが、そうした事に関しては私にはその答えでは不十分でした。またそういわれると今度は、そういう自信はまったくない→足りてないできてない(実際、足りてないしできてない)→駄目な俺(はい、確定)とますますドツボにハマるはめに。なんて純情な学生さんだったんでしょうね。自分で言うのもなんですが。

また、理屈や価値観からしかモノを言わない教授もおりまして、度々お互いにあまり好意的ではない議論になったのですが、あちらの方がキャリアも年の功もありますからたびたび詰まらされてしまいます。それでさも自分が正しいみたいな顔するもんですから、何でこんな生意気な学生を黙らせただけで何が正しいかが決まるのだ?そんな訳ないだろう!と、また考えこむ羽目に陥りました。

その後、学生じゃなくなってからもこの問題を引きずっていました。正しいってナニ?何がどうであれば正しいの?そんな事ばかりずっと考えていました。ところがある日、唐突にそれが来たんです。寝てる時でしたが、全身を貫くような衝撃とともに「あ」っという感じに。錯覚でしょうが、衝撃が全身を貫いて地面に駆け抜けていったような感覚で、その時気が付いたのが「すべてが分かれば何が正しいのか分かる=分からないものは何もない」という事でした。この人、絶対おかしいし、頭悪いでしょ?

そして、「でも、すべてって?どうしたらそんな事できるの?」というのが次の疑問です。結論は割と簡単で「(一つでも間に合わないのに全部なんて)俺には無理!」という事がすぐに理解できました。けれど、この事が分かった事によって、全部を知ることは無理でもすべてが何だかは分かる、一つでも間に合わないが、それを分かろうとすることはできる。問題は方法だ、という事になりました。そこからがまた長いんですけれどもね。また、やりかたが分かったところで、それができてるどうかは別問題ですし。