Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

論語中の詩

 

論語に詩を云うものは9条ある。

 

1. 陽貨09「曰、小子、何莫學夫詩、詩可以興、可以觀、可以羣、可以怨、邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名、」(詩を学ぼうか)

2. 季子13「曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、」(詩を知らずにあれこれ言えない)

3. 子路05「曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲、」(でも知ってるだけじゃなぁ)

4. 泰伯08「曰、興於詩、立於禮、成於樂、」(詩は基本、詩から始まる)

5. 泰伯03 曾参が戦戦兢兢、詩経小雅小旻を引く*1

6. 術而17「所雅言、詩書執禮、皆雅言也、」雅語は古注に標準語、新注は普段言っている事とあるそうだ*2

7. 八佾08「曰、起予者商也、始可與言詩已矣、」(それでこそ詩を語り合える云々

8. 為政02「曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、」(詩を一言で言えば・・・)

9. 学而15 端木賜が切磋琢磨、詩経衛風を引く*3

 

 

 

さて、その詩だが、詩経と呼ばれるものについては、家井眞『詩経の原義的研究』に詳しい。同書によると、詩経の頌・雅の諸篇の詩は西周後期の、特に名器である鐘の銘文が発生基盤であるといい*4、容は宗廟において祖霊の偉業を讃え、夏は宗廟ないし社に於いて神霊祖霊を讃えるために歌舞された詩であるという*5

 

とするならば、

王業を祐けて勲しのあった者たちがその功績を銘文にして不朽の名声とした訳だが、この者たちが詩に君子*6と謳われた者たちで、 彼らはとはすなわち、王業を祐けて功のあった立派な人々という事であり、また、周王朝創建における王業とは、天命によって殷の悪様を否定ないし是正すること、天命によるあるべき状態の実現であるのだから、詩に感化された者たちが、天意に適うよう努めて生きる者たちを君子と呼ぶようになったとして、そこに何ら不思議はないだろう。

 

*1:日刊☆こよみのページ スクラップブック【深淵薄氷】(しんえん はくひょう)

*2:金谷治訳注『論語』p.97、岩波文庫、1979

*3:No. 2 【 切磋琢磨 】 せっさたくま|今日の四字熟語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース 福島情報 イベント情報 企業・店舗情報 インタビュー記事

*4:家井眞『詩経の原義的研究』p.475、研究出版、2004

*5:家井眞「『詩経』における雅・章の発生と成立」二松学舎大学論集(昭和六十一年度)、二松学舎大学、1987

*6:君子については別にまとめるが、詩経における君子については家井眞「『詩経』に於ける「君子」に就いてー祖霊祭祀を中心としてー」二松学舎大学東洋学研究所集刊第二十六集、二松学舎大学東洋学研究所、1996に詳しい。