Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

夢の場所(2)死すべきもの

前回、夢は夜と眠りと関連付けられ、映像として理解されていた事、そして、何故、人は眠るのかについて「そういうものである」という説明が詩的に表現されていた事を見た。以下では、そうした眠りから戻らぬ者たちがどうなると解されていたのかを見てみよう。

 

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夢の場所(1)夢と眠り

人はその長い歴史の中で、いつ夢を夢だと気が付いたのだろう。

夢はずっと夢であったはずだが、彼らが夢で見る場所を、どこかにそういう別の場所があると思っていた時期はなかっただろうか?そこで経験する出来事を彼らはどのように思っていたのだろう。

そしてまた、目を瞑ったり、思案をしている時に脳裏に浮かぶ光景や胸に去来する物事を、つまり実際には存在はしているが、眼前には存在していない物事を人間は見ることができる、という事を彼らはどのように理解したのだろう。

こうした自身の内に映し出される映像を目にして、人々はどのような世界の姿を思い描いて来たのだろうか?

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人間の世界

人間は万物の尺度であるって言う時、それは「人間にとってあるものがあり、ないものはないものとして」あるという事なんだ。それに加えて「すべては感覚として現れているに過ぎない」と言うのであれば、それは「それが人間にとってのすべて」という事で、結局それは「人間にとってあるものがあり、ないものはない」ものとしてあるだけになる。

それはつまり、それが「人間の世界」という事なんだ

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エクストリーム懐疑主義への批判。

ドグマとは「考え」の事であり、スケプティスとは「考察」の事であったが、それぞれの契機を経て、その意味は「独断」と「懐疑」へと変容していった。同様に、懐疑主義も元は「現れに従って生きる者」であったのだが、そのままであり続けることはできず、やがて「すべてを疑う者」へと変貌していった*1

*1:金山弥平「古代懐疑主義」『哲学の歴史2』p.184-208、中央公論社、2008

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とんだ災難をもたらすもの

アルケシラオス Ἀρκεσίλαος(アカデメイアの六代目学頭)は次のように言う。

すべてのことについて判断を留保する人は、選択と回避、また一般に行為を律する物差し[基準]として「理に適ったものを」用いるであろう、そしてこの基準に従って進むことによって正当に行為するであろう。

というのも、幸福は思慮を通してもたらされるのであるが、思慮は諸々の正統行為のうちにあり、そして正当行為とは、それが行われた際に、理に適った弁明を備えている行為だからである。

かくして、「理に適ったもの」に留意する人は正当に行為し、そして幸福であるだろう

 

金山弥平・金山真理子訳

セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁2』p.72西洋古典叢書、2006

 

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