Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

プロタラゴスって何ですか?38

いろいろの名称を区別して使う事は、どうか勘弁して下さい。どんな風によぶのがお気に召すにせよ、ただ私の意図だけを汲んで答えてくださいませんか。38(358)

議論が噛み合わない時、同じ言葉を使いながら違うモノの事を言っている事がある。議論を成り立たせるためには、少なくとも議論に参加する当事者が同じモノを見ている必要がある。これが言葉から物事を見るのではなく、物事から言葉を見よという事だが、ここで述べられている事もこの事だろう。

無知とは重大な事柄について誤った考え方をもち、誤りを犯すことをいうのではないでしょうか?c

そうすると(無知でなければ)悪い方へ進んで赴くような者は誰もいないでしょう。悪い方へ向かおうとするようなことはもともと人間の本性の中にはないのではありますまいか?小さい悪い(まだマシな選択肢)を選べるのに、大きな悪い(最悪の選択肢)をえらぶ者はいないのでは?。d

あなた方が〇〇と呼ぶものは、私が〇〇と呼んでいるものと同じでしょうか?

言葉ではなく対象を見ているのが分かる。

 

ならば悪くない方へいけるのに、悪い方へ向かおうとするものがいるというのはあり得ないでしょう(分かっていないのでなければ)。

 

 

to 39(359)

 

Πρωταγόρας, Protagoras: アプデラのプロタゴラスB.E.5Cの人。「人間は万物の定規である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの」の言葉で知られるソフィスト。 "Man is the measure of all things: of the things that are, that they are, of the things that are not, that they are not." πάντων χρημάτων μέτρον ἐστὶν ἄνθρωπος, τῶν μὲν ὄντων ὡς ἔστιν, τῶν δὲ οὐκ ὄντων ὡς οὐκ ἔστιν.  Plato's Theaetetus at 152a  from Wikipedia Protagoras.

 

 

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鬼神敬遠について

雍也22に「敬鬼神而遠之」とあるのをもって儒教の反非合理性を謂うもの*1を見かけるが、どうだろうか。

 

泰伯21には「禹吾無間然矣、菲飮食、而致孝乎鬼神」とあって、自らを薄くして鬼神を厚くする禹が絶賛され、為政24では「非其鬼而祭之、諂也」と自分の親を祭るように謂い、為政05に「生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮」即ち、それぞれに拠って立つ所、やり方があるのだと謂い、先進12には「未能事人、焉能事鬼」と、生きてる者に仕えられなくてどうして死んだものに仕えられようかと謂う。

 

墨子』非儒篇下にある様に、儒者と呼ばれる者たちが葬儀に深くかかわり、厚葬を奨励して大挙して回っていた事を忘れてはならない。生きてる者でさえ粗末に扱う者が、死者を手厚く弔うとは考えられまい。何を以って生と云い死と云うか、いずれであれ、親であることに変わりはなく、同様に仕えるよう言っているように見える。

 

また、

礼記祭儀篇)に「祭不欲數、數則煩、煩則不敬、祭不欲疏、疏則怠、怠則忘、是故君子合諸天道春禘秋嘗*2」とあり、敬して遠ざけるは、祭りの怠り、行われない事を防ぐためであり、それは忌避して謂うのではなく、祭りが厳粛なものと考えられていた為である事が分かる。

 

してみると、

生と死の両方にきちんとお仕えするのが人の道であるといい、それらを孝や忠という人間本性の徳質として、天意にひもづけるのが彼らの理屈であったように見ゆる。 

 

そもそもを言えば、彼らにとって鬼神だとか天意だとかは、何も超常的なものでもなければ不可知*3のものでも何でもない。 単にそういうものであり、彼らが何かをそう呼ぶのに何の躊躇もなかっただろう。日本語風に言えば、人として神仏を粗末にしてはいけないと言ったところになると思うが、その"人として"を以って人間中心主義等というのは聊かニュアンスが異なる。

 

孔などにおいて謂う「知」とは人の道を分かっているという程度の事であって、不可知なるものを退けるような話ではあるまい。「敬鬼神而遠之」を以って儒教を「神秘的・宗教的なものからは距離をおく*4」ものと解するのは、論語中のみならず整合的ではないように見えるのだが。

 

 

 

 

 

*1:渡邉儀浩『儒教と中国「二千年の正統思想」の起源』、講談社選書メチエ、2010

*2:下見隆雄『礼記』p.179、明徳出版社、2015

*3:文字通りに真に不可知なものは、そもそも知る事ができないので俎上にも載らない。

*4:渡邉儀浩『儒教と中国「二千年の正統思想」の起源』 p.18、講談社選書メチエ、2010

the radient morning star

The radient morning star

“Philosopher king is an argument about ‘king*1and it also means the person who is the most perfect human being*2. Thus, it was the matter of humanity, especially its soul which they called Ψυχή what was entity move its substance, in other words, it was the matter of the essence of human being. Moreover, it was very political. Because their state based on the even-relationship of its members and they had a question of how to govern*3 themselves as one synthesis. Logically, they had four options: relay on the most likely perfect ones like Gaius Julius Caesar or Caesar Divi Filius Augustus, or entrust more experienced people like Senātus, or doing it by everyone or nobody do anything.

 

Since a very long time ago, all kind of leaders have kept trying to know the world's will by all means*4, what thing will happen at this stage? what should we suppose to do for that? Will our efforts succeed or not? What consequence shall it bling? leaders always need the guidance of wisdom, unless those are not a mannequin or something similar. Hellenes often went to Delphi for asking Oracle each time troublesome arose. Socrates regarded devouring oracles as a desecration*5. Yes, they bothered God with trifles, then he thought we should think by oneself like God always do for them, ...like walking in the footsteps of God*6, that way was exactly Philosophy.

 

As a Wiseman once said, "the wrong assumption will lead to the wrong conclusion", to lead the state in the right direction need collect recognition and the way to moderate conclusions*7. Ancient people called them philosophy, Today we call those ways academic, and the great efforts by judicial individuals to know things of the world and utilize the harvests from that now reached Science*8. The history of trying to know the world, understand universal laws, and do our best for the greater good is still not completed.

Becoming All of us to kings in that sense is the celestial goal of the ultimate Democracy. However, we are here. Hence, we always need something the second best to fill up the gap, to muddle through this stage.

 

*1:We should know about king before reading Plato's argument about it. Without knowing it, how could we understand its relevant argument.

*2:The person who can almost always choose the right way is the most perfect one of us. He knows anything, he can do anything, like he is omniscient and omnipotent. In the context of such a person should lead the state, those are the people who are beloved of wisdom or at least the people who love Sophia.

*3:Anglo-Norman and Old French governer, Latin gubernō, from Ancient Greek κυβερνάω (kubernáō, “I steer, drive, govern”) https://ejje.weblio.jp/content/govern

*4:c.f. Xenophon in Anabasis campaign, bornscript in ancient China, and Delphic oracle.

*5:Xenophon『Memorabilia』1-9.

*6:Plato『Phaedrus』266B-278d

*7:At least we need something we can take it as our foothold in this floating world. Some people need a creed, worship, belief though, philosopher need fact. If the fact is true and you deal with it properly, you may be happy.

*8:This word comes from the Latin scientia, it means confirmed knowledge not mythological knowledge at a present. Blaming science because of that it is not perfect yet is the same thing as blaming human beings because of that they are human beings. It is nonsense. We are still on the way to there.

論語中の三代

 

論語に夏・殷・周をいうものは10条ある*1*2

 

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章番は金谷本、加地本ともに同じ。 商は八佾08、先進16、顔淵05にあるがいずれも卜商子夏の事であり、語は大邑商を殷としか呼ばない。為政14と雍也04の周は「周而不比」「周急不繼富」であって周王朝を云うものではなく、八佾14は二代に比較した周を云い、堯曰は堯に始まって周に至る流れを云うものとなっている。微子01は殷に三人の立派な人がいたと云うのみであって、いずれも三代の流れ、連なり、比較しての話しかしていない。

 

孔丘らが物事を考えるにあたって、そもそもを振り返る時、周の前である殷、遡って夏を云い、三代の始まりにその拠るべき原理をおいて三人の聖王の事を云う。しかしながら、そしてまた当然ながら、彼らは元より歴史学者ではないのだから、過去の事実を探求して謂っているのではない。彼らはただ、彼らに出来うる範囲で、自分たちの取るべき道を示そうとし、なんとかそれを説明しようとしただけだろう。

 

彼らが、それが天意であると謂い、昔からそうであると謂うのは、そういうものなのだと言っている事にほかならず、話の落し所だとか、物事の落ち着く処を、それが見えない者にどう納得させるのかという難題は、現代に限らず、いつの時代にも骨の折れる話であったはずだが、それを三代の直道だとか天意に適うと謂って諭し、倣わせるのが、彼らのやり方だったのだろう。

 

 

 

 

彼奴も亦これを病めり、と言うべきか。 

 

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*1:金谷治訳注『論語岩波文庫、1979

*2:加地伸行全訳注『論語‐増補版‐』講談社学術文庫、2017

論語中の書

 

論語中に書と云うものは5条ある。

 

・霊公06 「子張書諸紳」

・憲問42 「書云、高宗諒陰三年不言」(服喪三年の条)

・先進25 「何必讀書然後爲學」(孔丘が書に拠らない者を嫌った条)

・述而17 「所雅言詩書執禮皆雅言也」

・為政21 「書云孝乎惟孝友于兄弟施於有政」

 

その内訳は、書き込みをいうもの1件、書の伝えるところをいうもの2件、書に触れるもの2件となるだろうか。

為政21は書の君陳篇に似た言葉があるが後世の偽作であるといい、施於有政も書からの引用とみるかで分かれるという*1。「君陳は礼記にはじめて引かれているもので、後世の偽書である」といい、また「「高宗諒陰」も、後の偽書である「悦命」に見える語である」という*2。中国古代史研究の最前線によると咸有一徳篇と説命篇は「やはり偽作であることが確定したという認識になっている*3」そうだ。

 

※元は周書33の「三年不言」であったのが、孔丘の正統解釈によって服喪三年の古例(一人に留まらない⇒皆やっていた⇒昔からの慣わしである)となり、それを受けて商書17の「亮陰三祀」が出来上がったという話らしい。

・商書17、高宗と宰相傳説のこと(悦命上中下)<抄>「王宅憂亮陰三祀毀免喪其惟弗言」*4

・周書33、逸楽を戒める(無逸)「乃或亮陰三年不言、其惟不言、言乃雍」*5 

 

書に根拠を求めることができない例として、孔丘による季子論難の根拠となった七廟説もまた服喪三年同様であるという*6*7

また、書に云うところと他史料では齟齬が見える例としては、武王の弟たちが旦を疑って蜂起したという三監の乱*8 がある。

 

書はまた虞書夏書を載せ、堯舜禹の説話を伝えるが、『孔子伝』p.102-103に、古聖王の説話に神話などを改変して加えたもので、その物語は孟子の頃に文献化が試みられたものだろうという 。

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黄帝(こうてい)とは - コトバンクより抜粋。

書にも語にも黄帝の話は出てこないが、「皇皇たる后帝」なるものが堯曰1にある。この后帝は上帝だとか天帝と訳すのが通例のようである。后はキミ=君で君主的な意味合いかと思うが、君は元々は最上位者に仕える者たちで、上から見れば下に過ぎないが、下から見て上、末端から見れば自分の属する指揮系統の最上位者というような立場にあたる者である。堯曰は語中でも随分と趣の違う一篇だが、この后が、仕える者ではなく仕えられる者としての面が強調されたものだとすれば、やはり書かれた時期が異なって、それが反映されたということになるのだろうか。

 

詩・書に学べとは謂うものの、その内容は 伝説ばかりである。してみると、詩に学ぶとは人々に謳われるものを承け、書に学ぶとは人々に伝わるものを承けるという事であり、詩・書に学ぶ人々とは、そういうものと伝えられ、人々に言われてる話をもとにして物事を考えていた者たちだと言えるだろう*9

 

*1:金谷治訳注『論語』p.36、

*2:白川静孔子伝』p99、服喪三年と諒陰三年については75-76、100-101に記載がある

*3:佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』p.271、星海社、2018

*4:野村茂夫『書経』p119、明徳出版社、1974

*5:野村茂夫『書経』p211、明徳出版社、1974

*6:白川静孔子伝』p.101-102、中公文庫、2013

*7:、金分に見える礼制と文献に見えるそれの違いについて、鼎制・爵制・官制などの面から見た解説が、佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』p.124-134、星海社、2018、にある。

*8:佐藤信弥『周ー理想化された古代王朝』p.35-39、中公新書、2016

*9:神話から哲学への展開が生じる前の段階という事。言われてる事 myth に一家言はあっても、本当はどうであるのかとか、どうであったかという事についての探求心が彼らにはない。

論語中の詩

 

論語に詩を云うものは9条ある。

 

1. 陽貨09「曰、小子、何莫學夫詩、詩可以興、可以觀、可以羣、可以怨、邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名、」(詩を学ぼうか)

2. 季子13「曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、」(詩を知らずにあれこれ言えない)

3. 子路05「曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲、」(でも知ってるだけじゃなぁ)

4. 泰伯08「曰、興於詩、立於禮、成於樂、」(詩は基本、詩から始まる)

5. 泰伯03 曾参が戦戦兢兢、詩経小雅小旻を引く*1

6. 術而17「所雅言、詩書執禮、皆雅言也、」雅語は古注に標準語、新注は普段言っている事とあるそうだ*2

7. 八佾08「曰、起予者商也、始可與言詩已矣、」(それでこそ詩を語り合える云々

8. 為政02「曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、」(詩を一言で言えば・・・)

9. 学而15 端木賜が切磋琢磨、詩経衛風を引く*3

 

 

 

さて、その詩だが、詩経と呼ばれるものについては、家井眞『詩経の原義的研究』に詳しい。同書によると、詩経の頌・雅の諸篇の詩は西周後期の、特に名器である鐘の銘文が発生基盤であるといい*4、容は宗廟において祖霊の偉業を讃え、夏は宗廟ないし社に於いて神霊祖霊を讃えるために歌舞された詩であるという*5

 

とするならば、

王業を祐けて勲しのあった者たちがその功績を銘文にして不朽の名声とした訳だが、この者たちが詩に君子*6と謳われた者たちで、 彼らはとはすなわち、王業を祐けて功のあった立派な人々という事であり、また、周王朝創建における王業とは、天命によって殷の悪様を否定ないし是正すること、天命によるあるべき状態の実現であるのだから、詩に感化された者たちが、天意に適うよう努めて生きる者たちを君子と呼ぶようになったとして、そこに何ら不思議はないだろう。

 

*1:日刊☆こよみのページ スクラップブック【深淵薄氷】(しんえん はくひょう)

*2:金谷治訳注『論語』p.97、岩波文庫、1979

*3:No. 2 【 切磋琢磨 】 せっさたくま|今日の四字熟語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース 福島情報 イベント情報 企業・店舗情報 インタビュー記事

*4:家井眞『詩経の原義的研究』p.475、研究出版、2004

*5:家井眞「『詩経』における雅・章の発生と成立」二松学舎大学論集(昭和六十一年度)、二松学舎大学、1987

*6:君子については別にまとめるが、詩経における君子については家井眞「『詩経』に於ける「君子」に就いてー祖霊祭祀を中心としてー」二松学舎大学東洋学研究所集刊第二十六集、二松学舎大学東洋学研究所、1996に詳しい。

論語における天と性

論語における天の扱いは、

公冶長13に「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性與天道、不可得而聞也已矣」とあり、陽貨19に「曰、予欲無言。子貢曰、子如不言、則小子何述、子曰、天何言哉、四時行、百物生、天何言哉」とあって*1

端木賜は聞く事ができなかったと云い、 孔丘は〈言わなくても分かるでしょ?〉天がもの言わずとも四季はめぐり、万物は生じているのだからと云う。

言わずとも見て学び、それに倣おうか?といったところだろうか。

 

語には天を謂うところがそこかしこにあって、孔丘の視界に天が入っていなかったとは到底思えない。

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加地伸行全訳注『論語』増補版*2の索引より作成)

端木賜は先進3に「言語宰我子貢」とあり、文字通りに言葉では教えてもらえなかったという事か、あるいは文字論理でなくては理解に難儀する類の者であったのかも知れない。

 

また、性について言えば、その言葉で言及する箇所は先の公冶長13と陽貨2の二条のみだが、性とは人間本性であり、生まれついての、自然の、人間の本姿であって、儒家はそれを仁と呼んでいる訳であるから、言及が少ないどころかこれもまたそこかしこで触れられていると言える。

陽貨2「日、性相近也。習相遠也、子曰、唯上知與下愚、不移」

公冶長13「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性與天道、不可得而聞也已矣」

うまれつき、そのように作られている、なら、それが天意なのだろう。という事だろう。

 

曰く、天、徳を我に生せり。

 

これらは『中庸』に謂うところの「天の命じるところが性、性に従うのが道、道を修むるを教えと謂う。」と、割とすんなりとつながるように見ゆるのだが。

 

 

 

*1:以下に引くところも含め、いずれも金谷本に拠った。

*2:加地伸行全訳注『論語』増補版講談社学術文庫、2017