Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

この世界と我々の起源に関する神話(言われてた事)と理解の話。

ここで見ているものは、同じ問いに対する答えかたの違いである。それは今以上に知らなかった時代に言われていた事、あるいはそうした時代の表現の仕方と、その頃よりははるかに知っている時代の知見の差に起因するもので、実際にそれがどうであったのかは人間の都合には依存していない 。 

 

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教典を根拠とする年代観*1は、十七世紀中葉以降、様々な要因が絡み合って、次第に普遍から特殊への道をたどる*2

好古趣味から収蔵、展示、そして考古学へという流れがあり、芸術家たちのロマンに満ちた古代趣味は人々の古代への関心を掻き立て、古態を残す異文化との遭遇はより古い時代があったのではないかという疑念を惹起した。その後、地層についての考え方が整理されるにつれて、そこには大洪水によるグローバルな断絶などは存在せず、選択的な種の形成と、段階的な歴史の展開があるのみとなって、従来の年代観の枠組みを超えて有史以前との連なりの中で「どこまで古いのか?」その起源を問えるようになったのである*3

エビデンスに着目した流れとしては、凡そこのようなものであるが、人々の受け止め方の変化としては、十八世紀の啓蒙主義があり、それを準備した十七世紀の科学上の進展、大航海時代の世界認識の進展、市民革命による思想の自由*4があり、それに先立つ普遍世界の解体としての国民国家の成立、更にその契機となる宗教改革があった事にも思想史の流れとしては留意すべきだろう。

 

以下は、1570年頃の日本の地図*5と現在の地図*6であるが、この450年程で日本の地形に変化が生じた訳でなく、 どちらもその対象は同じ日本を指している。

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この変化は、伝聞と想像によるものから、実地での測量や衛星からの観測が可能となった事によるものであり、対象の変化によるものではない。

 

以上、対象と認識の関係において、認識の適切さはその対象と一致する程度による*7のであって認識のみによるのではない事を示した。また、人は知らないからといって、そこを空白にはせず、何らかの方法で間に合わせていることも明らかだろう。人は日常生活において、突き詰めて考えるほどには真/偽を気にしてはいないのである。

 

この問題は、それがどうであるかは人間に依存しないという話であるが、 他方、現実の世界は自分の視界の内に留まるものではないことをも示している。 

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自分の視界が「世界の全て」ではない事を知ることは、自分には見えていないものがあるかもしれない事に、留意するという事でもある。

*1:岡崎勝代『聖書 vs.世界史ーキリスト教歴史観とは何か』講談社現代新書、1996

*2:ブライアン・フェイガン著、小泉龍人訳『考古学のあゆみー古典期から未来に向けてー』p.12-13、朝倉書店、2010

*3:ibid.

*4:岡崎勝世「世界史とヨーロッパ」p117-120、講談社現代新書、2003

*5:織田武雄『古地図の世界』p.228-229、講談社、1981

*6:Google Map

*7:感覚したとおりにあるところのものが対応するからそれは偽りなきものであって、その点それは知識にそっくりである『テアイテトス』152c