Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

プロタラゴスって何ですか?40b

こうした事をお尋ねするのは、それ自体がそもそも何であるかを考えてみたかったからです。それさえ明らかになれば、問題ももっともよく理解されるだろうと。360-361

 

認識の対象となるその事物それ自体であり、言葉はその似姿に過ぎない。それが何であるか分かっていれば、関連する問題ももっとよく理解されるのだ。そしてまた、それが何だか分かっていれば、どのような言葉で語られようと、或いは語られずとも容易に察しはつくのである。だが、何だか分かっていなければどうであろうか。

 

どうも私にはこの議論の結末が何かまるで人間のような顔をして私たちをなじり、からかっているような気がしてなりません。もしそれがものを言うことができたらー、361

 

物言わぬ事物に比喩的にしゃべらせたり、意思を持たせたりするのは擬人化であり、普通に行われる表現の方法でもある。他にそうした仕方で表現されてきたものはないだろうか?もし、そのそもそものものを知らなければ、きっと擬人でも比喩でもなく、そうしたものだと思ってしまうのではないだろうか?

 

以下はプロタゴラスに載るものではないが、 それそのもの自体についての問題はソクプラにおける議論の中核となる問題なので少しだけ触れておく。

「従って、多くのモノをみるけれども、そのものを観得することなく、他の者がそこまで導こうとしてもついていく事のできない者たち、こうした者たちは思わくしているだけであって、その思わくしているものを何一つ本当に知ってはいないのだ。そして、観得している者たちこそは知っているのであって、思わくしているのではない。それ自体としてあるところのものに愛着をよせる者たちこそは、知を愛する者と呼ばれるべき人々である。」 GreekΠολιτείαPoliteiaLatinRes Publica 479-480

 「はじめにしておかなければならないことが一つある。それは議論にとりあげている当の事柄の本質がなんであるかを、知っておかなければいけないということだ。それをしないと完全に失敗することになるのは必定である。ところが大多数の人々は、自分たちが知っていないという事実に全然気がつかないでいる。考察をはじめるときに、それを知っているものと決め込んで、お互いにちゃんと同意を得ておかないものだからその報いを受けることになる。彼らは自分自身とも、またお互いの相手とも、言うことが一致しない。」 Ancient GreekΦαῖδροςlit. 'Phaidros' 237c 

※本質というのは、物事を成り立たせている本体の事であり、枝葉末節や余分ではないものをいう。

枝葉末節に囚われて、すなわち言葉に囚われてそれそのものを見ないものたち、彼らの目に映らないそれそのものを、真に在るものとして彼らは関心を寄せるのだが、それはまた見えない者たちにとっては別の世界にある、天上の観念、すなわち形而上のおとぎ話にすぎないものである。

知人にそれそのもの自体について聞かれたのでその通り説明したら、プラトンはそんな事言っていない誤読だとして、解説本に書かれてるような話を正しい理解として聞かされた事がある。だが、その理解は巷の解説本での定番理解、いわゆるテンプレでしかない。彼の知るプラトンに上で挙げたような事柄は含まれていないらしいのだが、それそのものという事について知らない者がする哲学とはなんだろうか?

 

さて、哲学に触れたことのあるもので、真に在るもの、それそのものを知らないものはいないはずだが、それを何と呼ぶのであれ、それがそれであるなら、それは同じものである。さぁ、何の話だか、察しがつくだろうか?見えていれば察しがつくし、見えていなければつかないだろう。これはそういう話である。

 

 

 

Φαῖδρος καλός ἐστι

 

 

打ち間違えたので自重ではなく自嘲してみたのだが、あまり面白くもなさそうだ。だが、戻すと「あ、間違えに気づいたw」となるのでほっておこう。

 

確か、勝だったかと思うが、世に人の現れ方とかいう話で自分のやってる事見てる事言ってる事と同じことをしてるのを史上に見つけて、偉い奴がいたもんだなとなる、というような事を言っていたように思うが、俺のプラトンの場合も同じで、プラトン自身については必要な範囲でしか関心がないし、見えてないならプラトンにだって用はない。基本的に見てるのはプラトンの文字ではなく、彼も見ていただろうそのそもそもの方。俺が知りたいのは御託を並べる解説者ではなく、その解説されてるものの方だ。真に読むべき本、対話すべき相手とでも言えばよいだろうか。俺にそれができてるというのではなくて、世の真に一級の学者だとか研究者というのは、本人に自覚があるかはともかく皆これができている。彼らは真に読むべき本を読み、対話すべき相手と対話を続けている(先行研究や同業者の事じゃないよ?)。だからこそ彼らが知識人なのだ。一方、俺の方は何であるのかと言えば、身の程も弁えずにただ知りたいだけの、しかし知るには人生は短すぎる哀れな存在の成れの果てでしかない。

 

 

Πρωταγόρας, Protagoras: アプデラのプロタゴラスB.E.5Cの人。「人間は万物の定規である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの」の言葉で知られるソフィスト。 "Man is the measure of all things: of the things that are, that they are, of the things that are not, that they are not." πάντων χρημάτων μέτρον ἐστὶν ἄνθρωπος, τῶν μὲν ὄντων ὡς ἔστιν, τῶν δὲ οὐκ ὄντων ὡς οὐκ ἔστιν.  Plato's Theaetetus at 152a  from Wikipedia Protagoras.