Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

洞窟の比喩、附録①

哲学が軽蔑されるのはその資格のないものが哲学に手をつけている*1からなのだ。生まれのいかがわしい者たちがこれに手をつけてはならなかったのであって、正しい生まれの者たちだけにそれが許されるはずだったのだから。535c

我々のしていることは慰み事なのだ。というのも、哲学が不当に辱められてるので憤慨してしまい、真剣になり過ぎた。536c

 

ソロンは年をとってからも多くの事を学べるといっていたけれども信じてはいけない。若者たちにこそふさわしいのだ*2536d

彼らの少年時代にこれを課すようにしなければならないが強制はだめだ。魂の場合、無理強いした学習というのは、何一つ魂の中に残りはしないからね。自由にあそばせ、何に向いてるか見てみるのがよいだろう536d-537

総合的な視力を持つものが哲学的問答の能力をもつ者であり、そうでない者はその能力のないものだから。537c

 

我々は、子供の時から何が正しく、美しいかについて、決まった考えをもたされている。そして、そうした考えの下に育っている。それに服し、それを尊重しながら。538c

このように育ったものが、やがて、美しいものは何かを問われ、言葉の吟味にかけられて論駁されたとする。そして何度も、色々な方法で論駁された挙句、自分が教えられてきたことは何も美しくなく、醜いことなのかもしれないと考えざるをえないようになり、その他の事柄についても同様な経験をしたとする。すると、もはや前と同じようには尊重もしないし、服従もしなくなってしまうだろう。ゆえに、そうした痛ましいことを避けるためにも、言論の習得に着手させるには、あらゆる用心と警戒が必要*3なのではないだろうか。539a178

 

他の人々を自分と同じような人間に教育し、自分に代わる国家の守護者を残したのなら、彼らをダイモンとして祀り、そうでなければ祝福されたエウダイモンとして讃える。540c

 

国家と国制はまったくの夢物語ではなく、困難であっても実現可能なものであり、その方法とは、真正の哲学者が一人でも二人でも国家の実権持つようになって正義に仕え、これを育てようと国家を作り直してしまうのだ。彼らは、10歳以上の子供は田舎に送り返してしまい、子供たちを親から引き離したうえで、哲学者のやり方と法とによって育てる*4だろう。そうすることで、国制は速やかに確立されて、国は幸福となり、人々もその恩恵に浴することができるだろう。540d-541a

 

 

もっとも物事の落ち着く処は拒絶して、杓子行儀な価値観の適応、即時実現を求める者たちがいる。彼らはすんなり解決できる道筋を拒絶して、解決不能な己の好むところをとろうと試みる。私はただ物事が上手くいくようにと骨を折り、能う限りの最善を尽くしているのだが、彼らの掲げる善は、それらを悉く破壊しようと蠢いている。私の座るこの場所は、彼らにはとっては決して見えぬ幻なのだーとある偽善者への讃美歌

*1:話の流れからすると、事実から言葉ではなく、言葉から事実のもの、すなわちそれそのものが見えない者たちの事である。人には、在るものが見える者、見えない者、無いものが見える者、それらを知る者がある。

*2:もう七十過ぎた奴に何を言っても無駄だ。年寄りの居る家庭ではそうした絶望混じりの溜息が毎日のように零れている。死んでも治らない、付ける薬のない病。あのような病に罹らぬよう、若者たちをこそ導くのだ。この辺りは若者たちを堕落させたというソクラテスへの告発に通ずるところだろうか。

*3:まっすぐに育っていたものが、余計なものの影響を受けて駄目になる話であるが、その資格のないものが称するところの哲学が余計なものの最たる例であろう。

*4:理屈の上ではそうなのだが、そんな事をすれば彼らの親と紛争となるだろう。そしてそれが分かっていて強行する者が、それをしようとしているのであれば、それはきっとまともな者ではありえない。つまり、無理という事ではないだろうか