Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

あの洞窟の話。

洞窟の比喩という割と知られた話がある。

洞窟に生まれた時から拘束された者が、身動きもできず、ただずっと壁面に映し出されたモノを見て育てば、それをそういうものだと思ってしまい、映し出されている元のモノがどのようなものであるか知らない、という、毎度おなじみの「それそのもの、そのようであるところのもの」を知らない事についてを伝えるための虚構、つまり比喩の事だ。

そして、本物しか知らない者が、影しか知らない者たちの世界ではしっくりとできないのは当たり前であり、また反対に、影しかしらない者が、本物しかしらない者たちの世界にきてもしっくりとできないのだから、そうした事で悪く言うのは当たらないという話になっている。

さて、それそのものとそのようなものであるところのものの話はいつもの事なので、殊更に洞窟の比喩で取り上げるまでもない事であるのだが、この比喩で重要な事というのは、話の筋道から言えば、洞窟から抜け出そう!というような話では勿論なく、そのような仕組みを理解するところにある。

つまり、洞窟という壁面に映された、人々に見えているものの仕組み、映し出されている=人々の捉えた映像と、実際に起きていることとの差異の話である。この世界では様々な問題起きるが、その実際、実態と人々の受け止め方には開きがあり、その誤った認識で実際問題を扱おうとする事への批判であり、そうした誤った認識が正しい認識を退けようとする事への批判*1なのである。故にこそ、この話が「公共」すなわち所謂『国家論』に含まれる。

 

 

f:id:mazuna:20180806000127j:plain

 

*1:正しいソクラテスが誤ったソクラテスのイメージで断罪されてしまった事を想起して欲しい。