Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

万物の尺度

人間は万物の尺度である。あるものがあるということの、ないものがないということの。

これは人間にとってあるものはあり、ないものはない。人間にとってそうならばそれでよいではないかという単純な話である。少なくとも、個人がそれぞれにどう感じるかを尺度とするという話ではない*1

人は誤り、嘘をつくものもいる。目の前で他者の物を奪い、他者を傷つけることをしても、自分はしていないと言い、そのような被害の主張は、自称被害者が勝手にそのように感じて勝手に言っているだけだと主張する、加害者であることを否定する加害者もいる。だが、これらは言葉の上の話であって、実際にどうであったかは別の話である。実際の出来事は、個々の誤った認識には依存せず、適切な認識はその似姿にすぎない。

※世界に触れることはできず、すべては感覚(つまり現れ)によっているにすぎないという事は、人間にとってあるものがあり、ないものはないものとしてある、という事を言い換えたものに過ぎない。

 

 

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*1:『テアイテトス』に個々の感覚を尺度とした場合の議論がある。151e-152eでは「感覚しているところのものは、そのようなものとして各人にまたおそらくありもする」「感覚したとおりにあるところのものが対応するからそれは偽りなきものであって、その点それは知識にそっくりである」そして「何事も他と無関係に単一(あるもの)ではなく万事は運動、動き、また相互の混和からなり」「何物もいかなる時においてもあるということはないので終始なるのだ」として万物流転の話に続いている。また、161c-162aでは、各々の思いなしが各人にとって真である=つまり誤りなどというものは存在しないなら、他者から学ぶことなど何もないし、真理をめぐる議論は無用の長談義、途方もない空論になってしまうではないかと論じている。