Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

人間のために犠牲となった神の名前

前回、人間が持つとされた知性霊性の由来を物語る神話を見た。

 

そこでは、人間を作る原材料となるために犠牲となった神が、知性 tēmu を備えた者であった事、その肉から精霊 eṭemmu が現れた事が、人間の持つそれらの特性の起源として、つまり、人間とはそのようなものであるものとして説明されていた。

 

しかし、その神の名が今一つはっきりとしない*1

 

例えば、桑原(2008)は ilawela⁹  に確定したとするのだが、特に出典等は挙げられておらず、月本(2010)などは桑原が従来説として挙げる we-ila を用いており、しかも、月本は以前(月本、1996)同様の論考で gestu.e を採用していたところを改めての使用である。

またボテロの新装版(最古の宗教、2010)が刊行されているが、旧版(2001、オリジナルは1998)同様、その名を とする内容に特に変更はなく、訳者の松島もボテロの説を踏襲して度々引用している(松島2006、2009)*2

 

その名前の内にその特性を示す言葉が含まれているとする立場からすると、wê の神性 ilu に人間 awilu が由来し、wê の精神 tēmu にエツェンム eṭemmu が由来するとする説*3は興味深く説得力があり、またその特性が名前によって表されるという立場からすれば、精神作用をなす tēmu を持つ者の名は知性、理解力のある者を意味するシュメル語の gestu.e であるという説*4も整合的であり説得力があるが、解釈の秀逸さによって読み方が決まる訳ではないから、どれか気に入った説を選べばよいという問題ではない。

 

屠られた神の血肉から人間が生まれたとする筋書き*5がある以上、その混淆は名前の内につながりが確保されなければ失われてしまうものではないし、またその由来した特性も明記*6されている以上、由来するものはその由来するものを示す言葉の意味そのものによるのであって、根源となるものの名前によってしかその意味が明かされないものでもなければ、必ずしもその名前によらなければならないというものではない。 

 

アトラ・ハシース叙事詩人間というものを歌う物語である。神が人間であった頃*7、大きな衝突があり、そのために神々に代わって彼らのために働くものとして人は作られた。しかし、人間が増えてくると問題も起きるようになり、神々は人間を洗い流してしまおうとするが、ある神の通謀*8によって人間は生き残ってしまった。そこで神々は仕方なく、人間に様々な制約を加える事とした。そのような話によって人間の蒙る様々な苦難課せられた定めの由来が明かされており、人間とはそのようなものであるということが詩的に表現されている。

この話の筋の中で、とある一柱の神が犠牲として選ばれ、神々の目的のために捧げられる事になるのだが、この神を識別することができる文言は、その神性、そしてその特性のみであり、その内、選ぶ理由になるのは三つ目の特性だけである。つまり、tēmu である。この tēmu の意味を巡っても議論があったようであるが*9、辞書によればこの言葉の一般的な意味は次のようになっている*10

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また話の流れからすると、神々のしていた事を代わってする事が被造物には求められており、必要なのはその為の能力と解せられる。つまり、公共の用に従事する能力であり、そのための知性:洞察力、理解力、構想力、企画力などということになるだろう*11。そしてまた、これらの事は神々が人間であったときに彼ら自身が求めらていた事であり、それはつまり、そうした事をするのが人間であるという事になる。

以上の事を解するのには、神の名特に必要としない。

 

神々の衝突の後に人間の創造が行われるという構図は、後のエヌマ・エリシュにおいても踏襲されているが、その際、人間を生み出す母体となったキングーは創造の場面でイググに次のように言われている。

「そもそもたたかう考えをおこし

 ティアマトを唆して反逆させ

 作戦をたてたのはキングです。*12

逆心を抱き、騒乱を起こした根源として負の面が強調されてはいるが、これらもまた知性と呼ばれうるものの働きであるだろう。すなわち、アトラ・ハシースの構図は、後のエヌマ・エリシュにおいて、屠られた神の特性としても下書きにされていると考えられる。

 

これらの事から、前稿からその神の名は削除された。 

*1:本稿では以下の文献、資料を参照している。

桑原俊一『創世神話の系譜 : 古代メソポタミアの資料から(3)』注37、北海学園大学人文論集第39号、2008年。

桑原俊一『アトラ・ハシース叙事詩(1)』北海学園大学人文論集第43号、2009年。

桑原俊一『アトラ・ハシース叙事詩(2)』北海学園大学人文論集第44号、2009年。

桑原俊一『アトラ・ハシース叙事詩(3)』北海学園大学人文論集第45号、2010年。

桑原俊一『アトラ・ハシース叙事詩(4)』北海学園大学人文論集第46号、2010年。

月本昭男篇『創世神話の研究』pp.38-42、LITHON、1996年。

月本昭男『古代メソポタミアの神話と儀礼』pp.31-33、岩波書店、2010年。

松島英子『メソポタミアにおける文字と思考についての一考察』p.264、法政大学キャリアデザイン学部紀要3、2006年。

松島英子『メソポタミアの霊魂観』p.28、アジア遊学第128号、勉誠出版、2009年。

J・ボテロ『最古の宗教』松島英子訳、p.164、りぶらりあ選書、法政大学出版局、2001年。

John van Seters. Prologue to History: the Yahwist as historian in genesis, Westminster John Knox Press, 1992, pp.48-49.

Tzui Abusch. “Ghost and God: Some Observations on a Babylonian Understanding of Human Nature,” in A.I.Baumgarten, et al., eds., Self, Soul and Body in Religious Experience, SHR 78, Leiden ; Boston : Brill, 1998, pp.368-369.

Akkadian Dictionary: http://www.assyrianlanguages.org/akkadian/index_en.php

*2:検索 Google Scholar でも依然として wê-ila を採用しているものが散見される。ilawela も wê-ila もヒット件数自体が13件と極端に少ないのだが、その内、表示中に当該神名を含むものを数えてみると、wê-ila を用いる論者が2014-2016の間に4件、ilawela を用いる論者は1998-2017の間に6件ある。しかし、後者の内一件は他の読み方との併記であり、論者の一人には桑原も含まれており、他の論者としては同数になる。してみると、一般的には未だ一定はしていない。

*3:J・ボテロ(2001)、Abusch(1998).

*4:Seters(1992).

*5:DINNGIR-ma u awilūm libatallu puhur ina ṭiddi...ina širiū u damišu *Nintu ubalil ṭiṭṭa (第一部、第一欄212、213および225、226行).

*6:...ša išû tēma (第一部、第一欄223行).

*7:inūma ilū awīlmu (第一部、第一欄1行).この一文の解釈をめぐる議論については、桑原(アトラ・ハシース叙事詩(1)2009)の注12に記載がある。

*8:[ša šutti w]uddia gerebša...šipra ša agabbuku šuṣṣir atta (第三書板、第一欄13-19行).エンキ/エアは夢(自身の内なる映像)を通じて人間に未来(すべき事)を示した。勿論、一義的には夢占いの由来を示す。

*9:Seters(1992).

*10:Akkadian Dictionary を参照。尚、該当箇所は intelligence と訳されることが多い。personality と訳すことについては Seters(1992) が指摘する通り、話の中にそれを思わせるような箇所が見いだせない。

*11:イギギたちが担っていたのは、直接的には大地を掘削して国土に命を与える作業であるが、由来的には治水・灌漑の話だろう。天の運行を理解し、その意に適うべく諸事を整えていく作業に、知性は欠かせない能力である。エンキ/エアは、ジウスドラ/アトラハシースに夢という内なる映像を通して指示を与え、人間はそれを解して滅亡を乗り越えた訳だが、起きる事を解してどうにかする能力もまた知性に由来するものであるだろう。しかし、知性もろとも神を屠った[ilam ṭ]atbuhā gad[u ṭēmišu](第二部、第七欄33行)というのは、人間の持つ知性の不完全さを言っているのであろうか、それともそれが騒ぎの原因であるとも言っているのだろうか?

*12:『筑摩世界文學体系1 古代オリエント集』p.126,