Was I Dreaming?

A reverie is going to be told by me.

夢の場所(1)夢と眠り

人はその長い歴史の中で、いつ夢を夢だと気が付いたのだろう。

夢はずっと夢であったはずだが、彼らが夢で見る場所を、どこかにそういう別の場所があると思っていた時期はなかっただろうか?そこで経験する出来事を彼らはどのように思っていたのだろう。

そしてまた、目を瞑ったり、思案をしている時に脳裏に浮かぶ光景や胸に去来する物事を、つまり実際には存在はしているが、眼前には存在していない物事を人間は見ることができる、という事を彼らはどのように理解したのだろう。

こうした自身の内に映し出される映像を目にして、人々はどのような世界の姿を思い描いて来たのだろうか?

 

  

本稿は、以上のような関心に基づいて、現代文明の根幹をなす知の体系、その源流となる文明揺籃の地において、人間精神がどのように把握され、そして展開して行ったのか、その筋道を大雑把ながら辿るものである。 

 

夢と眠り 

河間の地においては、夢は基本的に夜と眠りに結び付けられていたという。夢の事を、シュメル語では夜の所産アッカド語では夜の映像とも呼んだらしい。夢の背後にある司神は、シュメル語で夢神アッカド語では軽い息吹と呼ばれ、後者は人が死後になり果てるぼんやりとした分体としても知られていたそうだ*1

 

ここから察することができるのは、夢は空間的というより映像的なものであり、見ているというよりは見せられているようである。その故にか、夢には何らかの意味があって、古くから神々が人間に啓示を与えたり、死者が生者に何かを訴える主要なチャネルと見なされていた*2

 

tabrītu mūšu:  夜の映像。幻影とか目撃といった意味のようである*3

tabrītu: 1) appearance , apparition, coming (to a place) , sighting

mūšu : night

次の二つ、アッカド語の夢と眠りは同一語根からの派生であるらしい*4。 

šuttu: a dream, a revire

šittu: sleep (good or bad)

zāqīqu: 息吹。微風、空虚、霊的なものなどの意味が並ぶ。

1) a wind , a breeze ; 2) nothingness / void ; 3) a phantom , a spirit , a ghost , a wraith

 

ーアトラハシースに夢を見せたら、彼は神々の秘密を聞き分けた*5

アトラハシースとは洪水神話の主人公であり、人類を滅びの危機から救った英雄の呼称の一つであるが、つまり彼は、自身の内に映し出された映像を見て、これから何が起こるのか、世界の動きを察知した。最高賢者叙事詩では彼は何をどうしたらよいか神に尋ねて具体的な指示を受けているが、英雄叙事詩では単に夢を見せたとだけ語られている*6

夢はもちろん夢に過ぎないが、彼らの理解に従えば、神々はこの世界の出来事の背後に在ってそれを顕現させている原因であり、その思惑を知ることは物事の動きを知る事と同じ事であった。これらは確かに、言葉にすれば神々の隠された思惑とこの世界の物事の動きと別個の表現を取りうるが、しかし同じひとつのことを指しており、世界の動きを察することが神々の秘密を聞き分けたと表現されている。

後に最高賢者と呼ばれ、元はシュルッパクのであり神官でもあったという役回りの主人公*7の場合には、寝ている時にその映像を見たのだったが、そもそも人は何故眠るのだろうか?日が落ちて、辺りが昏くなってくると、或いはひどく疲れてくると、又、不意に、何やら抗しがたい睡魔とでも呼べるようなものが忍び寄ってきて、意識を失い、動けなくされてしまう。古代の人々にも、眠りには二種類ある事が認識されていたが、その違いは息の有無鼓動の有無、そして帰還の有無にある。戻る事のできる眠りについて特に説明したものはないようだが*8、二度と戻る事のできない眠りが何故あるのかについては、次のように説明されている。

ー神々が人間を創造したとき、神々は人間に死を当てがった*9

 

※もちろん、そういうものであるという事の、あるいは分からないという事の文学的、詩的な表現として、この一文を取り上げている。誤解する者は居ないと思うが念のため附記しておく。

 

ウタナピシュティムはギルガメッシュに答える*10

眠ることと死ぬことと、それは同じ一つのこと!*11

人は決して死の姿を描くことができない。けれども最初にこの世に現れたときから、

人は死に囚われていた。偉大な神々が集まったとき、

運命の神を定める女神マンミートゥは、神々と共に運命を定めた

神々は生と同じく死を課したのだ。

ただ死の時期を知らしめなかったのだ。

 

ヘーシオドスは詠う*12

夜は忌まわしい定業と死の命運を生み、また眠り、夢の族を生み、ついで非難と痛ましい苦悩を生んだ(214)。

破滅は夜の眠りを、すなわち死の兄弟を手に抱えていかれるのだ(759)。

 

 


 

*1:J・ボテロ『メソポタミア-文字・理性・神々』松島英子訳、りぶらりあ選書、法政大学出版局、1988年、 pp.163-164。

*2:ibid. 神々による啓示は pp.165-171、死者の訴えについては p.411を参照。

*3:ibid. p163. アッカド語の活用形に不案内であるため辞書の見出し語形で記載したが、原文は tabrît mūši である。

*4:ibid. p.163

*5:矢島文夫訳『ギルガメッシュ叙事詩ちくま学芸文庫、2012年、第十一書版188行

*6:最高賢者叙事詩については桑原俊一『アトラ・ハシース叙事詩(Atra-hasis)(2)』北海学園大学「人文論集」45号、2010年、所収の第三書板を参照。

*7:洪水神話の主人公は、シュメル語版ではジウスドラ zi-u-sud-rá <長くされた日の命>、アッカド語版のギルガメッシュ叙事詩第十一書板では uta-napištim <私は命を見出した>となっている(桑原俊一『創世神話の系譜ー古代メソポタミアの資料からー(3)』北海学園大学「人文論集」第39号、2008年、注20)。ジウスドラはシュルパックの王であり神官であったが、ウタナピシュティムはアトラハシース<賢者>と呼ばれている。

*8:しかしながら、ウタナピシュティムは生命を求めてやまないギルガメッシュに対し、六日六晩起きているようにと言い、彼が寝てしまうそうになるとその度に起こしてあげるなどしている。だが結局、彼は毎晩寝てしまっていたのであり、眠りはいずれも逃れられぬ人の定めであるのだろう。矢島文夫訳「ギルガメッシュ英雄叙事詩」第十一書板199-206行参照。

*9:J・ボテロ『メソポタミア』p.317。英雄叙事詩、第十書板の第三欄1-4行に相当。

*10:J・ボテロ『最古の宗教ー古代メソポタミア』松島英子訳、りぶらりあ選書、法政大学出版局、2001年、p.173。英雄叙事詩、第十書板32-39行に相当。

*11:矢島文夫訳では<眠れるもの>とあり、原テキストの内で意味の不確かな個所とされている。また、後続の二文の訳がボテロ本と矢島版では意味が異なっている。

*12:ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫、1989年。